不妊

自転車を飛ばしての帰路。ほんの1年と少し前に私はここで転んだんだった。その日は雨が降っていて、仕事も忙しくて、連日の排卵誘発剤の筋肉注射(イタイ!)帰り。少しばかり泣いた記憶がある。こうやって頑張って仕事して稼いだお金は実るかどうか先の見えない治療に消えて、私なにやってんだろ。夫に電話して優しい声でなんとか立ち直ったんだった。
結局その注射で育った卵がぐりぐらになったのだけど。

良くも悪くも「不妊」から離れられない自分がいます。思いがけず近道して希望通り2人の子どもを授かったけれど、卒業なんて言葉で忘れることはできません。きっといつまでも考え続けることは私にとって必要で、そうすべきなんだと思います。辛かった経験も私の大事な歴史。こっち側とあっち側。世の中を子どものいる人といない人に大別できるわけないんだけど、不妊治療中はどうしてもそう考えてしまいがちだったりします。だから恐れず言うと、私はあっち側の人間になってしまった。あっち側の私に、もはやこっち側の人間の気持ちは理解できない。こっち側の人間を想う気持ちも上手く伝わらないかもしれない。それでもそれでもそれでも、何かできることや言えることはないんだろうか。といつも考えています。

技術的な知識より大切なのは心を軽くする些細な何か。私が助けられたのはそういうことでした。誰かの目にとまって誰かの気持ちが少し軽くなれば本当に幸いです。

●●私が妊娠のためにしてよかったーと思ったこと●●
〇病院の選び方。深く考えずに仕事と治療の両立で時間的な条件から選んだ病院でしたが、技術的にはかなり進んだところでした。私は結果的に高度な技術が必要になったので良かったんだけど、最初は技術的な面だけで選ぶ必要はないかもしれません。不妊の原因によって治療方針も異なるし、精神的に信頼できる先生が一番。ちなみに私の先生は冷静でぶっきらぼう。でもその良さもあるんです。精神的に追い詰められて突っ走ることも治療中は多々あると思いますが、それを上手くクールダウンさせてくれるから。(ただしそれをわかってやってる先生に限りますけどね。)体にも負担なのに気持ちが疲れるとホントやってけないのが不妊治療。「余計なことは考えずに。私の言うことだけちゃんとやりなさい。」後で考えると突っ走りタイプの私は先生に随分と助けられてたと思います。でも最後は「もう少し様子みて後にしても」と言われつつIVFを決行してもらって成功したんですけど。

〇周囲の協力。意外と夫は自分ほど必死でないほうがいいのかも。これまた無関心でも困るけど。うちも「子どもは欲しいけど君がいたらそれでいいんだよ」てな感じで、治療中は「キーッ!もっと一緒に必死になれよ。」と思ったものですが。ふたりで必死だったら共倒れしてたかもしれません。頑張ったアナタが逃げ込めるゆるやかな場所が夫なのが理想。
実母は何も言わずただただ背中を押してくれました。何か慰めを言われても素直に受け入れられなかったと思う、子持ちなんだから。でも私と同じくらい必死になってくれたのは嬉しかった。

IVFに関して。技術的なことは正直よくわかりませんがノーマルな方法で。採卵は8個、受精は5個、移植したのは2個で2個とも着床そして出産。(ちなみに排卵等は超順調、子宮の調子も良好、不妊原因は決定的に卵管。)IVFのスケジュールに入ってから体で気をつけたことは断酒くらいです。仕事も移植までして、移植して5日間は休みました。一応寝たきり生活。精神的にはいろいろ工夫をしました。卵子が育つところから着床までは毎晩イメトレ、病院での待ち時間には(移植したあとのベットに横になっている時間も)リラックスできる本(これはあえて妊娠に関係ない本)を眺めてました。
私に幸運を運んできたのはコレ

いつか森で会う日まで

いつか森で会う日まで

着床確認してからも切迫流産等トラブル続きでしたが、なんとか無事にこうして母になれました。
アナタの願いが叶う日を心からお祈りしています。